識名宮は琉球八社と呼ばれた由緒ある社の一つです。
社号は琉球神道記には「尸棄那権現」琉球国由来記には「姑射山権現」と記されています。
近世沖縄における熊野三山、いわゆる権現信仰としては末吉宮は熊野新宮に、普天満宮は熊野那智(飛龍)に、識名宮は熊野本宮に見立てて信仰されていました。
識名宮は特に琉球王の篤い信仰を承け、尚元王の長子尚康伯の病気回復に霊験を得て識名宮と神応寺を建て大あむしられに看守させたといわれています。
戦前の建物は山間社流造り、本瓦葺、桁行3.7m梁間2.4mの建築で沖宮本殿に類似していましたが残念ながら戦災で焼失しました。
戦後、識名宮奉賛会が発足して昭和43年12月に社殿が復興し、昭和47年5月15日神社本庁包括、宗教法人識名宮となりました。
識名宮近くには神応寺跡の礎もありました。散策しているとオオゴマダラのカップルにも出会えました ♥
【識名宮】 那覇市繁多川4丁目1-43