内嶺グスク跡は南風原町のほぼ中央部に位置する標高約40mの丘陵上にあります。
伝承によると14世紀末頃に首里から来た内嶺按司がグスクを築いたといわれています。
内嶺按司は鉄の農具をつくっては農民に与えて農業をすすめていたようで、グスクの名称「ウチンミ」は「鍛冶」を意味するものであるとの見解もあります。
グスク周辺からは14~15世紀代の土器や中国産陶磁器、近世、近代の陶磁器などが採集できます。
現在、グスクの旧地形は大きく改変され、他地域でみられるようなグスクの石積みを確認することが出来ません。
グスクを築いていた石は首里城改修の際に献納されたり、遺跡の北側を走る国道329号線の工事のために使用されたと伝えられています。
グスク内の北西側には、字兼城の拝所が合祀され、その近くには字兼城の慰霊塔が建立されています。
【参考文献】「兼城誌」 「南風原町史第6巻民俗資料編」