那覇空港から約40分の場所にある森川公園は木々が多く森林浴が楽しめます。
すべり台もあり子どもも遊べるし、ちょっとしたジョギングコースにも良いかもしれませんネ!
駐車場やトイレもあり、昼寝もできます。.。o○
森川公園内には、森の川(ムイヌカー)という場所があります。
今でも清水が流れ出ています。
↑ 天女が水浴びをしていた場所。
このムイヌカーは羽衣伝説の場所でもあります。
宜野湾市のはごろも伝説記によると・・・昔、奥間大親という嫁もきてもらえないほどの貧乏人がいました。
ある日のこと畑仕事を終えて手足を洗おうとムイヌカーに立ち寄ったら水浴びをしている一人の美女がいました。
物陰から様子をうかがっていると木の枝に衣がかかっていました。
奥間大親はすばやく衣を草むらに隠し女の前に姿を現しました。
驚いた女は急いで衣を取ろうとしましたがそこにはありません!
女は「私は天女です、羽衣がなければ天に昇れない。」と泣き崩れました。
奥間大親は、「それはお困りであろう、私がさがしてあげるからそれまで私の家で休まれるがよい」というと女は感謝して奥間大親の家に世話になりました。
奥間大親はその羽衣を倉の奥深くに隠しました。
それから10年、二人の間には一男一女が生まれました。
さらに何年かたち女の子が偶然に羽衣を見つけ弟と遊びながら「母の飛び衣は6つの柱の倉にあり、舞衣は8つの柱の倉にある」と歌ったのです。
それを聞いた母親は大いに喜び夫の留守中に羽衣を取り出して身に付けたちまち天高く舞い上がりました。
しかし、愛しい夫や二人の子供の泣き声を聞くと急には去りがたく空の上をぐるぐると飛び回り、ついには風にのって大空の彼方に飛び去りました。
男の子は寮の好きな若者となりました。
ある日、勝連按司の娘が婿選びをしていると聞いた若者は、勝連に行き「娘さんをください!」と頼みましたが、按司と家来は大笑いし追い返そうとしました。
しかし物陰から若者を見ていた娘は「この人はただ者ではありません、私の夫にふさわしい人です。結婚させてください」と頼みました。
日頃から娘を信頼していた按司は二人の結婚を許したのです。
二人は大謝名にある若者の家へと向かいました。
その家の垣根は壊れ雨漏りがしていました。
しかし汚れた竈(かまど)をみると黄金で作られていました。
不思議に思い尋ねると畑には沢山転がっている事が解り二人は黄金を拾って貯蔵しました。
そしてその地に楼閣を作り金宮と名付けました。
当時、牧港には大和の船も出入りしていたので若者は鉄を買い入れ、それを農民に与え農具を作らせました。
人々はこの若者を父母のように慕いました。
やがて若者は人々の信望を集め浦添の按司となり、『 中山王察度 』となりました。
察度王代における最大の功績は、中国(明朝)と正式な通行関係を樹立したことである。
森川公園から見える景色