『 字座安のイシマシモーと三本松 』豊見城市座安
豊見城市内には地域の名勝と呼ばれた風光明媚な場所がいくつもある!?
しかし、沖縄戦や戦後の開発という時代の流れで失われた風景も多い。
その中のひとつに『 字座安のイシマシモーと三本松 』が挙げられる。
集落の西、中前原の耕地の中に位置している。
かつては琉球石灰岩の小高い岩場に三本の松が生えていた。
拝所であるイシマシにはニライカナイの神を祀っているといわれ、遠くの拝所への遥拝(ウトゥーシ)にも使われる。
戦前期は製糖期終了後のクスユックィー(腰休めの行事)が行われる場所のひとつであり、五月ウマチーと六月ウマチーで巡拝する拝所となっている。
また、六月ウマチーには綱引きがあり、ここは、西の人々が綱打ちする場所であった。
イシマシモーが拝所以外にも地域の人に親しまれたのには、そこに枝振りが見事な三本松があったからとも言えるであろう。
座安の三本松は、平坦な志茂田平野の畑地帯の中で、数少ない小高い場所であったイシマシモーの上に立ち、推定10mほどの高さがあり、座安の名勝として周辺に知れ渡っていた。
戦前、その付近には青年団の耕作地があり、休憩場所としても使われ、休憩時間には松の下で相撲を取るなど憩いの場でもあった。
地域に親しまれた三本松とイシマシモーであるが、戦後の土地改良事業等、時代の流れの中で姿を変えていった。
イシマシモーの岩石はほとんど取り除かれ、周りの畑と同程度の高さになり、松も1964年に2本が枯れてしまった。
しかし、残された岩の傍らに小さな祠を設置したり樹木が植えられたりする等、現在でも信仰の対象・地域の憩い処として座安の人々に大切にされている場所である。
案内版より