平良グスクは、字平良集落の背後に連なる本市最標高109mの丘陵上に形成されたグスクである。
グスクの西側は絶壁だが、東側および南側は一部緩やかな斜面となっており、生い茂った樹林の中に城壁と石畳道が存在する。
また、グスク内には字平良が崇拝する御嶽があり、初拝みや五月ウマチーなどにムラやノロ、門中などが拝んでいる。
城壁は、標高約100mのほぼ等高線のライン上に沿っていて、東側から南側にかけ、岩と岩の間に石垣が積まれるなど、地形を利用して築かれている。
城壁のほとんどが野面積みだが、東側の一部には切石積みの城壁もみられ、グスク築造の時代変遷がうかがえる。
また、グスク時代の遺物包含層(当時の土器や道具等が埋蔵している文化層)が、崖下やグスク頂上の平場からも確認されている。
これまで実施された試掘調査では、土器や中国製の陶磁器、骨製品、釣針、鉄製の矢じり等、貴重な遺物が出土しており、その他、炭化した米や麦、粟なども出土している。
これまでの調査結果などから、平良グスクが形成された時代は14世紀~15世紀ごろと推定され、三山時代における南山の前衛的な性格を持つグスクであったと考えられる。
グスク石積みの痕跡が確認できる市内でも数少ない貴重な遺跡である。
また、琉球王府時代に首里城内で中国の冊封使歓待のおり上演された組踊「未生の縁」の舞台設定はこの平良グスクとなっており、2003年(平成15)には記念碑も建立(字平良公民館敷地内に設置)されている。