南風原町字兼城に東の石獅子があります。
この石獅子は、東方からの邪気返し(フーチケーシ)として兼城にある西の石獅子と対であったそうです。本来あった「東の石獅子」は沖縄戦で消失してしまいましたが、再現され造られた石獅子なのです。南風原町の区長がお年寄りたちに特徴を聞いて周り2年をかけて作ったそうです。
南部一帯では、東風平への火返し(ヒーケーシ)として石獅子を向けるのが普通ですが、那覇市上間に向けて造られたこの石獅子は、東風平と同じくらいに上間は恐れられていたと考えられます。
調べていくと上間と兼城の住民の面白いエピソードが見つかりました。
昔、兼城の若い者たちが上間に遊びに行くと、上間の人にこのチチ石を3つ持ち上げられたら兼城に持ち帰っても良い!と言われたそうです。すると兼城の若者はチチ石を軽々と持てたそうです。約束通り兼城にチチ石を持ち帰ると、上間の人たちは物凄く怒り、兼城の住民達に様々な嫌がらせをしたそうなのです。それで兼城の石獅子は上間への邪気返し(フーチケーシ)として造られたというのが由来でした。
⇓ チチ石 ⇓
このチチ石は今でも兼城公民館の前に置かれていました。重さは約72kgと85kgだそうです。ラジオやテレビが少ない時代は夜に広場に集まりみんなでチチ石を持ち上げて遊んだそうです。