名護城が栄えてた時代、ナナシキムイのある宇茂佐プーミチャー(大神原)には、北山にゆかりのある人々等が住み集落を形成していた。
宇茂佐古島遺跡からは、主に15世紀から17世紀ごろの生活の跡が発掘されている。
兵乱が止み、大平の世が訪れると、宇茂佐プーミチャーの人々も現在の宇茂佐・屋部等に移っていったという。
ナナシキムイの頂上には、岩陰を塞いだ墓があり、仲北山にゆかりのある『崎山按司』も祀られていると伝える『屋部大一門』では毎年旧暦11月の『プーミチャー拝み』祭事に、先祖の眠るこの墓を拝んでいる。
【 ナナシキムイ(七月森)の由来 】
『昔この山は、富士山よりも高くそびえ!頂上にたどり着くには七ヵ月もかかった。ただあまりにも細長く高い山であったため、ポキッと折れてしまった。ナナシキムイはその山の根っこにあたる!』という昔話しが伝えられる。
ナナシキムイの碑より