日秀洞内に観音寺鎮守「金武権現(熊野三所権現)」と水天が祀られています。
高野山で修業を積んだ日秀上人は、熊野から観音様が住むと言われる浄土を目指して小舟に乗り金武の富蔵津(現在の福花)に漂着しました。
金武に補陀洛浄土を観じた日秀上人は、この土地にお寺を建て(観音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来)を彫って奉安しました。
同じころに、この鍾乳洞内に熊野権現を勧請し、金武権現宮を建立しました。
明治時代の神仏分離令発令後も、観音寺と金武権現は一体とみなされ、現在も神仏習合の姿を残しております。
当山鎮守として観音寺を護り、多くの人々の信仰を集めております。《金峯山 補陀洛院 観音寺》
観音寺は、16世紀に日秀上人によって創建されたが、現存する観音寺は昭和17年に再建されたものであり、建築手法は近世社寺の手法が取り入れらえている。
沖縄県下の社寺建築の多くは大戦で焼失しましたが、この観音寺は戦火を免れて今日に至っており、古い建築様式をとどめた貴重な木造建築です。
【金武宮】 国頭郡金武町222