『 尚巴志(しょうはし)、尚忠(しょうちゅう)、尚思達(しょうしたつ) 』3代の墓
静かな『佐敷森(さしちむい)』の中を約200メートルほど進んで行きます。
鳥や虫の鳴き声が森全体に響きわたります ♪
『 第一尚氏王統 』『 第二代尚巴志王 』『 第三代尚忠王 』『 第四代尚思達王 』陵墓の碑がある。
琉球が3つの国に分かれいた三山(北山・中山・南山)時代。
尚巴志(しょうはし)が『 中山(ちゅうざん)王 』を倒して 1406年に、父『 尚思紹(しょうししょう)王 』に即位した。
1416年に『 北山 』を滅ぼすと、1422年に尚巴志(しょうはし)が2代目中山王となった。
1429年に『 南山 』も征服し、琉球三山を統一した。
日本史でいえば、秀吉が日本を統一したのに例えられる。その意味で、古琉球の英雄とみられる人物だ。
ここには、三代目『 尚忠(しょうちゅう)』、四代目『 尚思達(しょうしたち)』も葬られている。
尚巴志(しょうはし)は在位18年に及び、68歳で死ぬまで活躍したと言われています。
しかし、その息子の三代目:尚忠(しょうちゅう)は在位5年で死去。
四代目:尚思達(しょうしたち)も在位5年で世を去り、子どもがいなかったので、叔父にあたる尚忠の弟、尚金福(しょうきんぷく)が即位した。
やはり在位4年で亡くなったという。不運というか短命な国王が続いたそうです。
元々、尚巴志(しょうはし)の墓は首里城の近くにありましたが、第二尚氏の尚円、つまり金丸(かねまる)のクーデターにより焼き払われてしまいました。
尚巴志の家臣であった平田子(ひらたし)と屋比久子(やびくし)が間一髪、遺骨を持ち出すことに成功した。
この読谷村伊良皆に遺骨を移し、故郷の佐敷をしのび『 佐敷森(さしちむい) 』と称したそうである。
金丸(かねまる)は尚巴志(しょうはし)の王統を滅ぼした後、名を『 尚円(しょうえん) 』と改め、統一国家を継続する為に『 尚 』姓を利用した智謀高い策士でした。
佐敷に生まれ、琉球の天下に上りつめた英雄が、人里離れた静かな森深くに眠る。