史跡 『 幸地グスク 』西原町幸地
『 幸地グスク 』について
『 遺老説伝 』に、幸地グスクの城主は幸地熱田子(こうちあったし)と呼ばれ、腕力も強く人々から恐れられていました。
幸地熱田子は、隣り集落の津記武多按司(ちちんたあじ)といさかいをお越し、その一族を滅ぼした!
訃報を聞いた今帰仁按司(なきじんあじ)が敵討ちにおしかけたが、幸地熱田子(こうちあったし)の策謀にはまり殺されました!
その後、今帰仁按司(なきじんあじ)の息子四人が兵を挙げ、ついに幸地熱田子(こうちあったし)を滅ぼした。
記されている。
幸地グスクがある丘陵(標高100メートル)は南北に長く、本島の東よりにある。
この峰が分水嶺(ぶんすいれい)で、南方は『 首里城 』方面へ、北方は『 中城城 』方面につながる。
グスク内の最高地点に祠(ほこら)が建てられているが、かつては周辺を観察するためのやぐら台と考えられている。
その北東下は30メートル×30メートルほどの広さを持った曲輪(くるわ)となっている。
この曲輪の北寄りには井戸があり、居住地化された場所であろう。
また、西方から北西にかけても、幅が10メートルほどの削平地が数段造られ、居住地化されていった可能性が高いと考えられています。

階段を上がって行くと『 幸地グスク 』頂上に『 ビージル 』という拝所(ウガンジュ)があります。
グスク上門ガー
幸地按司ガー

幸地グスクからの眺めも最高でした💛
小高い丘の上にあるので景色は凄い良いですよ~♪ 天気のいい日にちょっと寄って眺めを楽しむのもいいかもね~♥