『 護佐丸の父祖の墓 』 恩納村山田
山田グスク主であった護佐丸父祖一族の墓といわれ山田グスク跡の中腹に位置する琉球石灰岩洞穴をりようした墓である。

墓前には一族によって建てられた碑文がある。
護佐丸の出身はもともと、恩納村でも読谷村でもない。
ルーツは、今帰仁(ナキジン)にある。曾祖父が先今帰仁城主で、1322年に北山王帕尼芝(ハニシ)によって滅ぼされた!
今帰仁グスク主の子が読谷山按司(山田按司)として山田城主となったが、嗣子がなく、兄弟の伊波按司の次男が養子となって読谷山按司を継いだ。
その子が護佐丸だと伝えられる(ウィキペディアから要約)。
つまり、護佐丸の父祖が山田グスク主であり、護佐丸は3代目として居城したそうだ。
それで父祖一族の墓となっている。