木綿原(もめんばる)遺跡は沖縄貝塚時代の前期から後期にまたがる複合遺跡であり、その主体は2千2、3百年前の箱式石棺墓を含む後期の墓地となっている。
昭和52年の発掘調査によって沖縄初の箱式石棺墓の発見に成功し、長い間不明であった沖縄原始社会の墓制について貴重な資料を提供することになった。
調査の結果、7基の箱式石棺墓と17体の人骨が出土した。
石棺墓の構造は、近くの海浜でとれるテーブルサンゴや石灰岩塊(せっかいがんこん)を素材にしてく長方形状に組んだ箱式石棺を下部構造にもち、その上には上部構造の石組がのっていた。
各々の石棺には複数の遺骸が納められ、4基の石棺から13体の被葬者が確認された。
棺内の遺骸は、ほとんど伸展葬による埋葬法がとられ、骨の上には摩滅したシャコガイ等が据え置かれており、当時の人々の死者に対する精神生活の一端をかいま見ることができる。
この遺跡は箱式石棺墓という墓制の存在、およびゴホウラ製の貝輪や弥生前期の土器等が出土することなどから九州弥生文化との交流が想定され、沖縄先史文化の編年を本土の弥生文化との関連において把握しうる資料として重要である。
文部省・沖縄県・読谷村