龍柱(りゅうちゅう)
このシンボル像は那覇市と中国福州市が、昭和56年(1981年)の友好都市締結から平成23年(2011年)で30周年を迎え、今後の両市の友好・交流を記念して建設されたものです。
像の規模は高さ15m、幅3mで材料は花崗岩(中国福建省産)を使用しています。
設置する場所は、那覇市都市計画マスタープランにおいて、若狭の海岸部から国際通りを経て首里に至る軸を都市のシンボル軸と位置づけており、歴史・文化の展開軸となっていることから若狭の海岸部としています。
シンボル像のデザインは地形と風水、歴史・文化をもととして首里・国際通り・若狭に至る都市シンボル軸を考え、首里城との関連をもたせています。
琉球王国時代には風水思想によって環境整備が行われてきました。
王府の居城・首里城にも地形と建物の配置に風水が取入れられていました。
その顕著なものとして首里城正殿に龍の仕組みがあります。
龍は宝珠に関連させて5つ龍の様式は全て御庭(正面の空間)に面しており風水との関係から龍脈として読み取れます。
その中の独自の様式をもつ龍柱が若狭のシンボル像のモチーフとなっています。
その造形は諸外国には見られない沖縄独特の造形で、とてもユニークなものです。
口を開けた形『 阿形(あぎゅう)』
特徴としては、垂直に建つ四角柱に下記の①〜③の形が盛込まれています。
①とぐろを巻き、鎌首を持ち上げ、②前脚を上下に構え、上に挙げた脚に宝珠を握らせています。
③二体の龍がそれぞれ口を開けた形『 阿形(あぎょう)』と口を閉じた形『 吽形(うんぎょう)』で対をなし、②③に配したことと合わせると仁王像の構えと共通しています。
口を閉じた形『 吽形(うんぎゅう)』
首里城正殿の龍柱は胴体が太い四角柱で垂直に建ち、後ろの欄干とつながった特徴となっています。
若狭に建つこのシンボル像・龍柱は、首里城正殿の龍柱から発展させた形ですが、欄干の替わりに龍が地下に潜って首里から国際通りを経て、若狭へと龍脈を作って出てきているため、台座はありません。
シンボル像の龍柱が海に向けられているのは、海の彼方から豊かさをもたらすと言われている『 ニライカナイ 』と平和への希求、発展性を表わしています。
案内板より